国際ローカル酒食プレゼンター 吉良竜哉(Kiracci) プロフィール

国際ローカル酒食プレゼンター写真

国際ローカル酒食プレゼンターでSakeWineLive!編集長
わかり易いこと。楽しめること。
分け合えること。ためになること。
挙げればきりがない日本酒とワインの魅力を、丁寧に描写できるように、
そして楽しめる場創りに全力を傾けております。
キャリア 2006年 J.S.A.認定ソムリエ取得。2019年S.S.I.認定国際唎酒師。飲食店店長、百貨店各店販売員を歴任。伊勢丹新宿店専属ソムリエを8年勤めた。 年間試飲数約10,000種前後 のべ60,000種
語学検定 イタリア語 検定 CILS レベル2 (中級)
スペイン語 検定 DELE インテルメディオ(中級)
主な出演歴 ワイン王国 No.100 2017年8月号 /  No.99 2017年6月号 / No.95 2016年11月号 /  No.93 2016年7月号 
鎌倉FM シーサイドカフェ 木曜Ver. /  おはよう鎌倉
多摩レイクタウンFM  大人チャレンジ
他管理サイト TreStelle(トレステッレ)HP
グルメサイト「ビミシル」
出身地 京都府 舞鶴市
主な別称 ヤミーソムリエリューヤ、きらっち、Takki

吉良竜哉(Kiracci) 遍歴

2019年1月時点のものです。今後も何かが起きれば書き足します。
1974年8月 京都府舞鶴市にて警察官の父と専業主婦(当時)の母の長男として産まれる。未熟児で前途多難な幼少期の始まり。
1979年4月(4歳) 浄福寺幼稚園入園。ただし自家中毒がひどく、通園できた日数は半分ほど。
1981年8月(6歳) 引越、卒園に際し、あまりに何もできないのを見かねた友人が急遽ブランコの乗り方特訓をしてくれる。努力で壁は超えられることを、おぼろげながら初めて知る。
1982年4月(7歳) 母方の祖父母の家の隣に自宅を建設し引越す。中舞鶴小学校に転校。通学片道30分の道で少し身体が鍛えられる。以後優等生だが、根暗で京都弁が抜けず、たまにいじめられる。
1984年(9歳) 父が入退院を繰り返し始める。当初「胃潰瘍」と聞かされる。
1986年4月(11歳) 父死去。実は胃癌だったと母に告げられる。
1987年(12歳) 大河ドラマ独眼竜政宗にドはまりする。その世界観はもちろん主演渡辺謙氏の演技にほれ込み「将来はこの人になる」と誓い、その後の人生を大きく左右する。
1987年4月(12歳) 和田中学校入学。テニス部に入り、一応3年続ける。初めて日常的にスポーツをやったおかげで体は徐々に丈夫になる。
1989年(14歳) 小学校以来の数少ない親友竹内くんの誘いでTM NETWORK(84年4月21日デビュー)を聴き、メンバーの木根尚登氏のオールナイトニッポンを聴き始める。また竹内くんの影響でF1グランプリ見はじめどハマりする。
1990年4月(15歳) 東舞鶴高等学校入学。中途半端な田舎の進学校だっため、周囲の文系女子の成績に押され中学まで成績が嘘のように凡庸になり、井の中の蛙、大海の端を見る。
バトミントン部入部も1年生の3ヶ月のみで辞める。
1990年-(15-歳) 俳優の夢をあるのに、田舎であることを言い訳にして何の行動も起こさず悶々と暮らす3年間。また小学中学と患っていたアトピー性皮膚炎が徐々に悪化。
1993年3月(18歳) ろくに大学受験対策をやってこなかったツケが回り、受験全滅確定。親元離れて一念発起。代々木ゼミナール寮に入り、生まれて初めてテレビのない部屋で1年間猛勉強する。
1994年3月(19歳) 同志社大学や立教大学など当時の志望校は全て合格する。中でも記念受験で合格した上智大学に東京への憧れから、やめればいいのに入学する。
1994年4月(19歳) 上智大学に入学すると、クラス40人弱の中で英語が最もできない生徒であることが判明。「背伸びしての入学を後悔」する。演技にしか興味がなかったため演劇サークルでの活動優先。21日TM NETWORK終了を発表。
1994年5月-(19歳) 部活の先輩にTM NETWORK終了Liveに連れて行ってもらうが、TMロスに陥る。同時期「Innocent world」にはまり、以後ミスチルに傾倒。
初年度からアトピー性皮膚炎が爆発的に悪化。以後入退院を繰り返す。
1994年(19歳) フジTVの「セリエAダイジェスト」でバティストゥータ選手にハマり、フィオレンティーナファンになり、フィレンツェが憧れの街になる。以後海外サッカーに興味を持ち、ヴァレンシア、リバプールファンになる。
1995年10月(21歳) 単位を取るという概念もないまま上智大学退学。
1996年3月(21歳) 演技者になるということと、大学卒を両立するため日本大学藝術学部映画学科を受験。不合格だったのでさらに一浪。母には「30歳までは役者に挑戦させて欲しい。」と半ば強制的に認めさせる。
1997年3月-(22歳) 日本大学藝術学部合格。入学後俳優真田広之氏への憧れから、同氏が所属していた殺陣同志会に入部。ただ稽古のきつさとアトピーの悪化で3ヶ月で退会。
1998年(23歳) 当時のハリウッド至上主義に違和感を感じていた頃「ライフイズビューティフル (la Vita e Bella)」「ニューシネマパラダイス(Nuovo cinema Paradiso)」「イルポスティーノ(il Postino)」といったイタリア映画を立て続けに観る。サッカー、イタ飯、ワインなどの影響もありイタリアで俳優になることを決意する。
1999年10月(25歳) アトピーが改善が見込めないこと、イタリア行きを早く実現させたいという気持ちから退学。舞鶴市の実家に戻り、バイトを4つ掛け持ち、留学資金を貯める生活を続ける。
2001年9月(27歳) 念願かなってイタリアマルケ州のド田舎にある小さな語学学校から留学生活スタート。4ヶ月滞在。
2002年2月(27歳) フィレンツェの語学学校へ。学校で習う文法は散々やって飽きたので、食材店でのバイトやEmailでの文通など日常会話に没頭する。
2002年7月(27歳) 6カ月間のフィレンツェ滞在後、イタリアの映画の都・憧れのローマに移る。語学ができたので、人生初の、それなりのモテ期が来る。語学力が大事と思い始めた最初のきっかけ。
2002年8月(27歳) 履歴書を持って俳優派遣事務所を巡る生活が続く。あるオーディションで端役のエキストラながら見事合格。衣装合わせの直前、当時、学生ビザでは仕事ができないという法律があることが判明。各役所にかけあったが許可は出ず、出演も断念。
2003年3月-(28歳) かつて無い落胆を抱えながら貯金が底をつきることも考慮し、帰国前にスペイン語習得するためスペインに移る。イタリア語がかなり話せたため、スペイン語は苦労しなかったが、イタリア語スペイン語が混じるという「外国人あるある」を発動する。
2003年10月(29歳) 帰国。学生時代の苦い思い出から東京都内を避け、マリノスのある横浜に住み「余程のことが無い限り横浜から出ない。」と決める。緑区の自宅で語学学校「メディテラネオ横浜(第一期)」開講。
2004年4月-(29歳) 俳優になるための夢をあきらめきれず、ラストチャンスと「地雷を踏んだらさようなら」他の五十嵐匠監督が講師を務めるワークショップに参加。
2004年6月(29歳) 人物になりきる課題で、かねてから興味があったワイン界から田崎真也氏をチョイス。ただワインの専門知識も田崎氏についてもほぼ無知の為、全く様にならず。
2004年12月(30歳) 卒業制作でも課題の人物を中途半端にしか演じきれず、才能が無いことを痛感。18年間の夢を凍結することを決定。半分廃人のように3ヶ月すごす。
2005年2月(30歳) 「何かやらなければいけない」という自覚から、海外に行って寿司職人として働くことを思いつき、履歴書を出すも面接にすらたどりつかない。
2005年4月(30歳) やりたいこと、なりたいものがない中、田崎氏になれなかったこと、ワインへの造詣を思い出し、バイト雑誌で偶然見つけた横浜の輸入元のアンテナショップでアルバイトを始める。
2005年6月(30歳) ワインの知識を得たいという欲求が強くなり、スペインワイン試飲セミナーに参加。なぜか受付でスカウトされ新規オープンの「スペインバル・レストラン マドリード」(渋谷)のオープニングスタッフとして働く。以後ダブルワークを続ける。
2005年10月(31歳) 神奈川区白楽に引越。「メディテラネオ横浜」の生徒が徐々に増え始める。
2006年1月-(31歳) 規定の職務年数経過に伴い、JSAソムリエ試験受験を決める。勉強も兼ねて1月から同僚の受験予定者A氏と共に、定期開催のワイン会「ワインラボvi-vi」を始める。(2019年1月時点で59回開催)
2006年10月(32歳) JSAソムリエ試験合格。
2007年1月(32歳) ワインスクールの校長に勧められるまま、新規オープンのインド料理店の店長就任。
2007年12月(33歳) インド人のがさつさ、経営者のワンマンぶり、来客のあまりの少なさに嫌気がさし退職。
2008年1月(34歳) 百貨店中心とした販売員として働きはじめる。
2010年8月(35歳) 伊勢丹新宿店入社。主にヴィンテージワインセラーの販売と仕入れを担当。国別担当は当初イタリア、スペイン担当。「メディテラネオ横浜」はフランス語のみ外部講師に委託し実質休講。
2011年5月(36歳) 憧れだった産地ブルゴーニュに会社の研修で訪問。その後ブルゴーニュ担当も兼任。
2012年5月(37歳) 前年の補完として自費でブルゴーニュ、ローヌ地方回る。
2012年(37歳) 深夜番組でたまたま見た「十字架You&I」のミュジックビデオからBaseBallBearにはまる。Mr.Childrenのライブチケットが取れないこともあり、SCANDAL、グッドモーニングアメリカ、amazarashi、サカナクションなど新しいバンドの音楽を次々聴き、以後毎年3、4本はライヴに行く。
2013年(38歳) お付き合いする輸入業者が圧倒的に増え、休みのたびにその試飲会に出向くようになる。
2014年7月(39歳) 悩んだ挙句、足掛け5年付き合った前妻と入籍。ただし8月の挙式前に徹底的にもめ、10月に離婚成立。自分の優柔不断さで周囲に散々迷惑をかけることを思い知る。
2014年10月(40歳) 実家に帰っていた時に出発直前の本屋でたまたまつけた「1万円起業」という本でそれまでの企業計画(ワインのネットショップ)が180度変わる。「トレステッレ」の営業形態の大枠が決まる。
2014年12月(40歳) TMのFunks(ファン)でありサカナカマ(サカナクションファン)でもある 今の妻と出会う。
2015年(40歳) この年あたりから、平日の休日では、かなりの日数試飲会の参加にあてる。
2015年8月(40歳) 港北区綱島に引越。妻と暮らし始める。
2016年4月(41歳) 入籍。日付はもちろん21日。
2016年12月(42歳) 漫才コンビ日本酒が教える講座にて日本酒ナビゲーターを取得。
2017年1月(42歳) トレステッレの下地として第一弾「グルメサイトビミシル」を開設
2017年2月(42歳) 第二弾「WineLive.net」を開設
2017年4月(42歳) 職場の担当換え、フランスのボルドー、ロワール、アルザス、南米以外の地域は全て歴任する。「SakeWineLive!第2号イタリア特集」の取材を兼ねてイタリアに新婚旅行。
2017年6月(42歳) 「SakeWineLive!創刊号山形特集の取材のため山形訪問。
2018年2月(43歳) 「SakeWineLive!創3号九州特集の取材のため大分・宮崎訪問。
2018年3月(43歳) 7日長男 穂音果誕生
2018年11月(44歳) S.S.I.公認 国際唎酒師取得
2018年12月(44歳) ㈱三越伊勢丹 伊勢丹新宿本店 退職
2019年1月(44歳) 2日TreStelleトレステッレ創業。21日「SakeWineLive!創刊号」発売